「芸術は爆発の岡本太郎さんの最後と橋幸夫さんの最後似ていないか」
「芸術は爆発だ!」の名言で知られる芸術家・岡本太郎さんと、昭和歌謡界を支えた歌手・橋幸夫さん。分野も活動の舞台も異なる両者ですが、“最後の瞬間の迎え方”に、意外な共通点が見られると言われています。岡本さんは創作への情熱を最後まで燃やし続け、橋さんは芸能生活の幕引きを自らの手で段取りした。いずれも「自分の生き方を貫き通す」という意味で、よく似た美学を感じさせるのです。本記事では、その共通点と相違点をたどりながら「文化人の理想的な幕引きとは何か」を考えていきます。
もくじ
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岡本太郎の最後 ― 芸術と共に生き抜いた生涯
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橋幸夫の最後 ― 引退と“美しい幕引き”の物語
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二人に共通する「自己完結型の終幕」
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違いと共鳴点 ― 芸術と芸能の垣根を超えて
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現代に残されたメッセージと私たちが学ぶこと
1. 岡本太郎と橋幸夫 ― 異なる世界で輝いた二人
岡本太郎さんは「芸術は爆発だ」という強烈な言葉と作品で、日本の戦後アートシーンを代表する芸術家となりました。前衛的で挑発的なスタイルは人々に衝撃を与え、いまだに語り継がれています。一方、橋幸夫さんは昭和を彩る大衆歌謡のスターであり、青春歌謡の旗手として数々のヒット曲を世に送り出しました。戦後復興から高度経済成長にかけて、一般庶民の生活に寄り添う歌声は広く支持され、多くの人々の思い出に刻まれています。
彼らは表現の方法も活動の舞台も大きく異なるものの、その存在感と文化的影響力は比肩し得るものであり、いわば「日本の戦後文化を形づくった二本柱」のような役割を果たしていたといえるでしょう。
2. 岡本太郎の最後 ― 芸術と共に生き抜いた生涯
岡本太郎さん(1911〜1996)は、晩年まで制作意欲を衰えさせることなく活動を続けていました。代表作「太陽の塔」をはじめ、常に“生きることそのものが芸術だ”というスタンスで世に挑み続けた姿勢は、まさに言行一致の人生でした。
最期もまた、その哲学に裏打ちされたものでした。岡本さんは老境期にも創作に手を止めず、肉体的な衰えを超えて制作を続け、病院でも「まだやりたいことがある」と語ったと伝えられています。芸術を生涯の伴侶とし、その瞬間まで「創造する人間」であることを貫いた点は、多くの人々に感銘を与えました。
3. 橋幸夫の最後 ― 引退と“美しい幕引き”の物語
一方、橋幸夫さん(1943〜2024)は、自らの意志で“最後の舞台”を演出しました。昭和ポップスの時代を象徴する歌手として長らく活動しつつも、晩年は引退に向けて入念な準備を重ね、ファンや関係者に感謝を伝える場を設けました。
歌手としての集大成を「最後の公演」や「セレモニー」として形にし、自分の意思で活動を区切る姿は、芸能人生を自らコントロールする強い意志の表れでもあります。つまり、橋さんにとっての“最後”は、消耗や衰退による幕引きではなく、計算された美しいフィナーレでした。
4. 二人に共通する「自己完結型の終幕」
岡本太郎さんと橋幸夫さん、一見すると生涯の最後は異なるように思えます。岡本さんは死の瞬間まで芸術を追い続け、橋さんは舞台装置のように最後を演出しました。
しかし、両者には共通した美学が存在します。それは「他人に任せるのではなく、自らの人生の終幕を最後まで自分の思想やスタイルで貫いた」という点です。岡本太郎は創造の炎を絶やさずに燃やし尽くし、橋幸夫は人生の幕を自ら引いた。この“自己完結型の終幕”は、文化人としての理想的な姿にも映ります。
5. 違いと共鳴点 ― 芸術と芸能の垣根を超えて
相違点としては、岡本太郎が“創作に生涯を溶かす”タイプであったのに対し、橋幸夫は“大衆と共に時間を区切る”タイプだったことが挙げられます。芸術家と歌手という立場の差が、そのまま最後の迎え方にも反映されました。
ただし共鳴点は明確で、彼らは「晩節を汚さず、自分の存在証明としての最後を形にした」という点で共通していました。時代やジャンルを超えて、「潔さ」と「自己表現による幕引き」という文化的美徳を示したのです。
6. 現代に残されたメッセージと私たちが学ぶこと
岡本太郎さんと橋幸夫さんは、異なるジャンルでありながら、「最後まで主体的に生きる」という価値観を体現しました。現代人にとっても、これは大きなヒントになります。すなわち、他人や社会に流されるのではなく、自分の生き方を最後まで貫き、自ら幕を閉じることの尊さです。
超高齢社会を迎える日本にとって、彼らの“最後の迎え方”は、生き方そのものをデザインする上で示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
超高齢社会にこれから突入する私にとって、他人や社会に流されるのではなく、自分の生き方を最後まで貫き、自ら幕を閉じれるのか?
どんな最期を迎えたいのか
死にたくない死にたくない死にたくない
ともがき
見苦しい最後を迎えることはないかもしれない
自分で粘っても自力で死を防げないから
命はふっと立ち消えるのだ
自分の愛犬の最後のように
最後に愛犬はふっと吠えて死んだ。
自分の目を見ながら
橋幸夫さんの霧氷が聞きたかった